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国会図書館、東大の図書館などで調べました。 長野県飯田市上郷(飯沼・南条・別府辺りも含む?)に吉川姓が非常に多いことは解っていました。 それが書物に「多い」と書かれていると、 『ふんぬっ!認識が一致しとるのぅ。んだば、何故多いのかはいずれ解明されるじゃろうて』 などと頷くわけですよ。 まずここで判明したのは、 @屋号 吉川家のそれは「ドウガイト(堂垣外)」だそうです。 う〜ん…。 A移民(移住) 明治40年代〜昭和10年頃はブラジルなどへ移住する一家が多かったそうです。 大正8年には、吉川寿、吉川亀吉がブラジルに渡ったと記されていた。 養蚕が下火になってきた時期と関係があるのでしょうか。 私の曽祖父・丑弥が亡くなったのは大正6年、北海道北部の「オカホナイ」という所です。 旭川のずっと北、JRの駅でいえば「音威子府(おといねっぷ)」の先、天塩川流域です。 明治の終わりには、北海道の南側には土地がなかったらしいです。 丑弥さんも土地を求めて海を渡ったんでしょうか…。 が、開拓できるのは北の方しかなかったのだろうと推察されます。 B宗門帳 上郷の隣にある飯沼という土地には「宗門帳」が残っているとか。 『あっしらはキリシタンじゃあござんせん、●●宗の▲▲寺の檀家でっせ』 というような、家族が記された戸籍に近いものらしい。 取り敢えずはここまで。 次回は古い資料に残っている「吉川」さんについて。 |
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